芭蕉は1689年3月27日にこの地から奥の細道へと出発しました。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
回向院
振袖火事の11万人の焼死者を葬った万人塚に始まった両国回向院の別院。
杉田玄白が刑死者の解剖により「解体新書」を著す。
説明版
回向院と隣接する小塚原刑場跡の説明版
距離にして2km弱くらい。
南千住南西地域の案内板
西へ向かいます。
浄閑寺(投込寺)
安政の大地震時に新吉原の遊女たちが投げ込み同然に葬られた。
浄閑寺の説明版
音無川と日本堤のあったところ。
国道4号に出て北へ向かい円通寺へ。
「百くわんおん」
百体の観音像を安置した観音堂があった。
円通寺の説明版
坂の上の田村麻呂の創設。小塚原の地名の由来となる。
上野寛永寺から移築された黒門。
幕末の上野戦争のときの弾痕が多数残っている。
三代将軍鷹見の松
四十八首塚(小塚原の地名の由来となる)
七重塔
ここから明治通り荒川サンパールまでは千住間道(せんじゅかんどう)
素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)
素戔嗚神社の説明版
旗が並ぶ
松尾芭蕉の碑
茅の輪と社殿。
学校帰りの小学生たちは社殿の方向に一礼して通り過ぎていた。
小塚原の地名の由来と言われる瑞光石は見落とした。
国道4号に戻り千住大橋が見えてきた。
アーチにはめ込まれた「大橋」のプレートに注目。
現在の橋はブレースドリブ・タイドアーチ橋として最古のもの。
千住大橋の歩道を進む
左には水道橋が並行
奥の細道 旅立ちの地
このあたりからの富士山。
日本橋から7km
ここは海抜0m
この日は京成線の千住大橋駅まで。