南松本から歩いて5分くらいの跨線橋からは電車庫がよく見えます。
反対側を見下ろすと南部公園。
先月訪れた時とはまるで違っています。満開の桜のお出迎えです。
桜の時計
枝垂れ桜
芝生広場
公園を抜けて出川通りに出ました。旧北国街道です。
多賀神社・諏訪神社
百度石
裏に回ると文政2年とあります
多賀神社&諏訪神社
2つの神社を合祀したため菊の紋と梶の葉がある。
逆光でよく見えないので、反対側へ回ると
2つの神紋が並んでいるのがよくわかります。
賽銭箱の神紋も2つ
鈴も2つ。
神社の裏は田川の堤防と隣接しています。
田川を渡ると、今日の目的地の一つ、弘法山古墳が見えてきました。
遺跡 弘法山古墳の案内板
もうすぐ麓
しののめの道
弘法山古墳は3世紀末、つまり弥生時代が終わってまもなくにつくられたもので、東日本では最古級です。
中山丘陵の北端にあります。中山丘陵はフォッサマグナにできた残丘で活断層の牛伏寺(ごふくじ)断層が通り、100年で1m近い国内でも最大級の変位があるため、将来的にはM8級の大きな地震の可能性もあります。
遺跡 弘法山古墳
上り坂
後方部から前方部へつながる尾根道
ソメイヨシノは思っているより白いです。
前方部の頂上へ
石室。
桜に見とれてて、ここが古墳だったことを忘れていました。
前方部の鼻の先のでっぱりへ。
北東方向
松本市街の方向
西側の前方部から東の後方部へ
古墳の東側へ下りていきます。
ピンクの桜
古墳脇の和泉川沿いに田川に戻ります。
和泉川から。
稲荷神社の奥からも古墳に上がれます。
古墳の斜面を通る歩道
古墳を1周して、田川に戻って振り返ったところ。靴屋さんがちょっとじゃま。
田川に架かる橋から。
北国街道を松本へ向かいます。
こちらも雀踊が見えます。
旧中田家。板葺石置屋根の書院や唐破風の玄関を持つ。県名称の池泉回遊式庭園もあり、湧水を利用していた。
出川一里塚跡
振り返ると見える弘法山もこのあたりで見納めです。
真新しい秋葉神社と豊川神社。
道路拡幅でここに移転してきました。
国道十九號線にかかるこの橋。
その名も城見橋。
松本城が北に見えたことからついた名。
しかし、橋を渡ると刑場があったことから、がっくり橋とも呼ばれていた。
今は、ビルで松本城も見えずにがっくりです。
逢新(あいしん)神社
薄川(すすきがわ)にかかる栄橋の脇にある道祖神
田川はこのまま北へ流れていき、北松本駅付近で奈良井川に合流します。
旧町名 博労町
博労(ばくろう)とは牛や馬の仲買商人のこと。
緑橋。別名、袖留橋。
徳川家康のひ孫にあたる小笠原忠脩(ただなが)は、大阪夏の陣のときに松本城の守備を命じられていながら無断参戦した。そのとき、乳母が袖に縋ってとどめようとした場所。
明治11年の橋の架け替えの時に、取り壊された大手門の石材を利用して作られ、緑橋と名付けられました。
裏側に明治11年12月とあります。
このあと松本駅から帰路へ。
小淵沢駅での乗り換え待ち。
今日の八ヶ岳。ちょっと雲がかかっています。